あの日々のことを忘れないために




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あの日々のことを忘れないために・・・


これは自分のために書きます。




生きているとどうしようもない窮地に陥ることがあります。

それまで生きた年数や環境によって人それぞれだとは思いますが・・・

そんなとき、逃げ場のない苦しみにもがくしかない、いつ果てるとも知れない時間との闘いを我々はするわけですが、それは試練としか言いようがないものです。


神様に試されている?

いったい何のためにこんな辛い思いをするのか?と考えたりします。


何とか死なずに乗り越えたあとで、ふと振り返り、考えたりするわけです。



具体的にぽんきち自身に起こった例を挙げますと、ちょうど2年前の今日、内臓を切除する大手術をして、麻酔から目覚めた直後からの5日間はこの世のものとは思えない程の苦しみを味わいました。

6時間毎に2種類の麻酔を投与するのですが、1種類は全く効かず、もう一つの薬がわずかに効いている数時間だけ意識を失う程度で、あとは激痛のため5日間ほとんど眠れなかったのです。

やがて薬による幻覚や幻聴も現れるようになりました。

熱にうなされた時に見がちな悪夢のような訳の分からない映像が繰り返し目の前に現れたり、突然目覚まし時計のけたたましい音が病室に響き渡り、あるはずのない時計を探したり・・・

どこまで現実でどこまでが非現実なのか、自分でわからなくなっていました。


あの5日間に一度たりとも死を考えなかったと言えば嘘になります。生きているからこんな苦しい思いをするんだ・・・死ねば楽になると考えた瞬間がありましたが、その後で自分自身を叱りつけました。

夜、激痛に耐えながら暗い窓の外を眺めていたあの日々は、いつ果てるとも知れない苦しみに、この試練はいつまで続くのだろう?と思っていました。

とにかくギリギリのところで生きていたような気がします。


あの時、相方の献身的な看護がなかったらとても乗り越えられなかったと思います。

看護師さんたちは忙しく、ぽんきち一人に付きっきりで看護はできない状況でしたから、もしあの時一人だけで闘っていたら、もっと精神的にも打ちのめされていたはずです。


手術をして5日目の朝に、やっと昨夜は意識を失う感覚ではなく「眠れた」と思いました。

その前夜に、お見舞いに来た相方が帰ったあと、ぽんきちは病室で何度も茶色い液体を吐きました。

何も食べず、わずかな水しか飲んでいないのに、洗面器2杯分もの液体を吐いたので、どうしようもない苦しみの中にありながら「これはきっと腸液だな・・・わずかな水しか飲んでいないのに人間の体って不思議だなぁ・・・」などと考えながら悶絶していました。

今思うと、あれが極限の苦しみが続く最後のサインだったんですね・・・もし、その後もずっと続いていたら、自ら命を絶つ選択しかできなかったかもしれません。



病気の件だけでなく、身近に存在する大切な人たちとの摩擦により、鬱病の症状が出るほど心が崩壊した日々もありましたが、あとになって思えば、それは自分が選択した人生だったに過ぎません。

あの日々の苦しみを他者のせいにするのは間違いなのだと気付くのです。

きっと、こういうことは誰にでも起こり得ることです。

そのたびに神様は我々を試しているのかもしれません。


もし、自分が幸せになれないと感じているならば、そしてその理由を他者のせいだと信じて疑わないならば、この先も幸せにはなれないんじゃないかな?

心の浄化作用は、他者への遺恨がある限りは始まらず、自分の過去の人生にもYESと言える存在に自分自身がなれた時、はじめて起こるものだと思えてなりません。


人生の試練をどう乗り越えるかはその人次第です。

時には自分だけの力では乗り越えられない試練もあります。

神様の気紛れな悪戯が終わり、やがて試練を乗り越えられたら、限りある命であることを、死を意識して生きることの真の意味を、これまでよりももっと深く考えられる自分になれたらいいと思います。



神様が意図するものが何であれ、その後の人生をどう生きるかで、自分に与えられた試練の価値が決まるのだと思います。



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posted by ぽんきち at 2014/08/20 19:14 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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