
これはもうずいぶん前から感じていることなんですが、ぽんきちは昔の友達に会いたいという気持ちがとても希薄になっているのです。
具体的に申しますと、自分でぽんきちと名乗るようになった時期のそれより前からの知り合いには基本的に会いたいと思わないんです。FBを本名で登録していると昔の旧友などがたくさん勝手に出てくるんでしょ?つまり、そんな機能はぽんきちは要らないぞと(・・;)
勿論、例外的にたまにとても会いたくなる旧友もいますが、それは稀なケースで、ぽんきちは心のどこかで「これからも自分はギタリストぽんきちのままで生きていたい」と思っている節があるのです。たまに旧友に会うことがありますが、それはぽんきちの中で特別な位置付けにある人たちに限られています。
こんなことを書くとこのブログを読んでくれているぽんきちではなかった頃に知り合った、ぽんきちを本名で呼んでいた旧友たちはがっかりするかもしれませんが、誤解のないように申しますと彼らのことはずっと忘れないし、今も友達だと思っています。
しかし、何だろう?この微妙な気持ちはなかなかわかってもらえないかもしれませんが、ぽんきちではなかった頃の過去は自分にとってあまり重要ではなくなっている感覚なんです。
今と未来がすべてというか、とりあえず過去を思い起こすことに今は魅力を感じないというか・・・それでも同窓会的な再会はたまにあってもいいと思っていて、自分自身でも上手く表現できない微妙な心境なんです。
ひとつには人生はその時その時で関わる人たちが流動的に変わっていくものです。今の自分の生活にほぼ接点のない昔の知り合いは、離れるべき理由があってお互いに離れているのでしょうから、無理やり再会する必要性はないだろうと。何と言うか、お互いに人生に作用する役割を終えているような気がするのです。
むしろ、人生の関わり合いという意味でそこに枠というものがあるならば、現在進行形で関わっている人たちやこれから出会う人たちのためにその枠はあるべきだろうと思います。
実は今回のお話は以前から感じていながらもブログには書かなかったのです。それはぽんきち自身が旧友たちに対する想いを上手く表現できないからなんですが、何て言えばいいのだろう?
つまりは、俺はもうギタリストぽんきちになってしまったよ・・・ってことなのかな?
まだぽんきちではなかった頃の自分にほとんど興味を無くしているので、それも影響しているのかもしれません。それと、あの頃の自分しか知らない旧友に会っても生き方が違い過ぎて話が合わないでしょうし、お互いに共感できる要素は薄いような気もしています。
それでもまだたまに会えるとするならば、その旧友はギタリストぽんきちになってしまった今でもお互いの人生に何らかの作用し合うものがある人たちなんだろうと。
過去からずっと今と未来に続いているぽんきちの人生の枠の中に居続ける稀有な人たちなんだろうと思っています。
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