休日に父とキャッチボールをする




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子供の頃の昼ご飯は家族でインスタントラーメンの出前一丁を食べるのがぽんきち家の習慣でした。

サラリーマンの父は平日はセメント工場で作業員として働き、日曜日は朝から夕方まで畑仕事をしていました。

父が仕事をしなかったのは盆と正月だけでした。とにかく仕事ばかりしている人というのが子供の頃ぽんきちが感じていた父親像でした。



畑仕事から帰ってきた父はお昼に家族でラーメンを食べたあと、必ずぽんきちをキャッチボールに誘いました。今でもクリアに記憶していますが、キャッチャー役の父のグローブに向かって思いっきりボールを投げる気持ちよさは何ともいえない爽快感があったのです。

あの時の父はとても楽しそうでした。きっと息子の成長をボールを受け取るグローブを通して感じていたのかもしれません。

日曜日の畑仕事では急勾配の山道をコンテナに詰めたミカンを降ろす作業もしていましたが、父はコンテナふたつを担いで山道を降りていました。重さは40キロ近くはあったと思いますが、高校生になったぽんきちでもコンテナひとつが限界でしたから、当時の父の体力は相当なものがあったと思います。



そんな父も今では立ち上がるのに1分ほどかかるくらい体力が衰えました。普段の生活でも紙オムツは欠かせなくなりました。

父は14歳で終戦を迎え、その後地元のセメント工場に就職しました。

ぽんきちは昔、もともと文系タイプたった父に「なぜ苦手な理工系の知識が必要なセメント工場に就職したの?」と質問したことがありました。

父は「あの頃は生きることで精一杯だった。好きなことを仕事にするとか考えたこともなかった。そんな時代じゃなかったんだ。」と言いました。

父の書棚には電気関係の本がたくさんあったので仕事で必要な勉強を独学でやっていたんだと思います。



戦争が終わって70年以上が過ぎましたが、今でも我々の多くは生活のために好きでもない仕事を選んで生きる人生を選択しています。

まだ父にははっきりとは伝えていませんが、ぽんきちは好きなことを仕事にしてみようと思うと、今度実家に帰ったら話してみようと思っています。

終戦後、生きるために必死だった父、家族のために定年退職までほとんど休みなく働き続けてきた父は何と言うだろう?



それでもぽんきちは父に伝えたいと思います。

最後は好きなことを仕事にしてみたいと。

これからそんな未来を生きていくんだと伝えたいと思っています。











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posted by ぽんきち at 2016/03/12 12:41 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする