食物連鎖の頂点で考える





20141113202151359.jpg





命あるものは命を食らうことで生きている・・・それは例外なく、命を与えられしものたちの宿命です。

厳しい大自然の中で生きるものたちは常にお腹を減らしています。彼らの頭の中はいつも明日の食事のことでいっぱいなんでしょうね(・・;)

食物連鎖の中で生きる彼らはいつも天敵の襲来に怯え、最大限の警戒をしながら日々を生きています。彼らにとっては食べること、寝ること、たまにセックスをすること、命を産み育てることが生きるすべてです。

それゆえ、それこそが生きることの基本であり、食物連鎖の頂点に君臨する我々人間も例外ではありません・・・う〜む、本能ってめっちゃ大事ですよね。しかし、これらのどれかが欠けた人生と闘っている人間はたくさんいるはずです。



我々も、よっぽど大金持ちの家庭に生まれない限り、食べることに必死で生きています。働いて稼がないと生きていけませんし、学校を卒業したばかりのスタートラインでは貯金もほとんど無く、まずは生きていくために働きます。

やがて貯金もある程度できて、愛する人と結ばれると家庭を築いたりしますが、忙しい日々の中でふと疑問に感じたりします。

ストレスで心を病んだり、体を壊したりすることは我々の社会では珍しいことではないし、ある日「自分は何のために働いているのだろう?」と考えたりします。

食物連鎖の頂点にいるのだから、猛獣などの天敵に怯えて暮らしているわけでもないのに、息苦しさを感じてしまうことがあるよね(・・;)

この閉塞感はいったい何なのか?

ストレスを抱えながらも生きるために毎日一生懸命に働き、愛する家族や仲間たちと過ごす人生は、それだけでも十分に価値があるはずなのに、何かが違うという得体の知れない違和感をいつも抱えているのはなぜなのだろう?



我々人間にとって最大の天敵は戦争なのかも知れませんねぇ・・・戦争という天敵が存在する世界では、殺すか殺されるかという食物連鎖の真っ只中にいるため生きるだけで精一杯です。食べられるだけでもありがたい。

しかし、天敵の存在しない食物連鎖の頂点では、ただ食べるために生きることに対して疑問が生じてきます。自分の人生において何かを実現したいと願うようになります。

その何かは人それぞれだと思いますが、いつもお腹いっぱい食べられる環境で生きていると、胃袋ではなく心を満たす何かを求めないではいられなくなります。

多くの人たちは愛する人の存在で満たされることが多いのかも知れません。それでも満たされない何かがあるとするならば、それは食物連鎖の頂点に生きる人間の根源的な欲求なのかも知れませんね・・・うぅむ(・_・;)



それは自己実現というものなのかも?自分はこれをするために生きているんだと確信できる何かが必要なんでしょうね。

それは食物連鎖の頂点で生きるものだけに与えられた自由であり、誰もが追い求めた先で実現できる可能性のあるものです。


食物連鎖の頂点にいるという時点で、そのスタートラインは同じはず・・・あとは覚悟を持って行動できるかどうかだと思います(^-^)


posted by ぽんきち at 2015/04/16 22:46 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする