命が命を食らう




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あらゆる生き物たちの命の犠牲のもとに我々は生きている。


万物の犠牲のもとに我々は生かされている。


困ったことだけど、彼らの命を奪うことでしか我々は生きることができない。


彼らは我々に食べられるためにこの世に生まれてきたのかな?


それは我々がそう解釈しているだけ・・・でしょ?


もし、彼らに言葉があったなら、ひとつの命さえもそんなことは言わないんじゃないかな?


一生を全うしたかった・・・すべての命がそう言うはず。




人間として生まれてきた我々はそんなことを考える必要はない。


そう考える人もいるかもしれない。


我々は一生を全うするまでにいったいどれほどの命を犠牲にするのだろう?


星の数ほどかもしれないね(・・;)


もし、日々を漫然と何となく生きているとしたら、それを知った彼らはどう思うだろう?


もし、今度生まれ変わったとき、彼らの側の命として生まれ変わったとしたら、食べられるのは仕方のないことだと思えるだろうか?


仏教の世界では輪廻転生があるとされています。




ここまで書いて、ふと思い出しましたが、かつてエドガー・ケイシーという偉大な超能力者がいたそうですが、彼は敬虔なクリスチャンだったのだとか。


彼は自らを催眠状態にしたうえで様々な預言をしたり、地球の裏側ほども離れた場所にある物の位置を言い当てたりできる能力があったらしいですね。


催眠状態の自分が語る言葉を録音して、目覚めた後で自分のチャネリングした内容を確認していたそうです。



ある日、「生まれ変わり」はあるのか?という依頼を受け、いつものようにチャネリングした自分の声を目覚めた後で聞いて愕然としたらしいのです。


なぜならば、彼は輪廻転生について語っていたからです。


キリスト教には輪廻転生の概念はありません。敬虔なクリスチャンだった彼は、それゆえ驚きを隠せなかったという話を聞いたことがあります。




話が脱線しましたが、我々は次に生まれ変わるとき、もしかしたら写真の魚かもしれません。


命が命を食らう・・・それゆえたくさんの命に生かされている。


我々の誰一人として例外などありません。


好きなことを一生懸命やろう。


好きな人たちと共に生きよう。


好きな人たちと生きながら、好きなことを続けられる世の中であり続けるために、命の研鑽は必要だと思います。


放っておけばモノは腐るし、部屋は埃だらけになるんだもの。


ぼんやり過ごす時間はないよ・・・終わりはある日突然訪れるかもしれないんだから(^_^)v




 七隈ファミリーボールのトイレより

 ぽんきち



posted by ぽんきち at 2014/08/23 13:55 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする